読書感想文は廃止でいい

  • 2023年7月8日
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1、読書感想文という文章自体、汎用性がなく、異質なものである

みなさんの中で、読書感想文というものを夏休みの宿題以外に書いたことがある人、いますか?社会人になってからも、読書感想文書いているなんて方いますか?おそらくいないですよね。その理由は読書鑑賞文というものそのものが異端文章だからです。

おおまかに文章というのは、二つのジャンルに分けることができます。それは、小説と評論文(説明文)です。

国公立大学の一次入試をみてもそうです。現代文については、小説が1題、評論文(説明文)が1題だされます。それ以外の入試はどうなのかというと、評論文しかだされません。大学の入試で小説は出されないのが主流です。

大学の学士は勉学の研鑽を積み、最終的には論文を書くという昔ながらの教養主義的な考えに基づいて成り立っている学部が多いので、評論文を読み書くということが求められます。

よって、文章で最も汎用性がある、社会的に必要な文章は、評論文(説明文)なのです。

小説は趣味や芸術の類でしょう。最も文学・思想というものが死んでしまった現代では、小説を書くなんていう行為も稀有のものになってきていますが。。

さて、今回は、読書感想文という異質な文章ジャンルについてです。そもそもこの文章の存在意義が理解不能です。この文章は小説でもなければ評論文でもないのです。

読んだ本の考えと自分の私生活とを結びつけそれを振り返ることによって、前向きに変容した自分を演出するという異質なジャンルの文章ですよね。

何かを発見するわけでもなく、文章のオリジナリティがあるわけでもない。文章の存在価値としては、ゴミだと個人的には思っています。こんな、ゴミを量産するくらいなら、まだ、自分で小説を書いてみたり、批評文を書いてみたりすることの方が、有意義なのではないでしょうか。

もしくは、読書感想文が本当に自由に書いてもいい芸術性や独創性を保持したものであるのであれば、その本を読んだ僕が、闇堕ちしてしまったり、破滅に向かってしまう話でもいいはずです笑。たいてい結果的に中立ーポジティブで終わることを暗黙に強要され、でっちあげ文章が再生産されていきます。

そもそも論、読書感想文自体が、学習指導要領に準拠したものだとも思えません。一体、誰が書けと言っているのでしょうか。

2、読書感想文の制度的な問題点

年初、職員会議で読書感想文をやるかやらないかの話し合いはなく、学校ですでにやることになってスタートしています。課題図書は6月くらいに、学校で配られて、学年で回してざっと子どもに紹介しています。読書感想文を書く対象者については全員参加の学校もあれば、希望者だけ参加の学校もあります。全く参加しないという学校は自分が今までに勤めた学校ではありませんでした。もう何十年と続いている活動なのでしょう。

チラシを見てみましょう。

 

主催:公営社団法人 全国学校図書館協議会と毎日新聞社

でました、公益社団法人です。笑 この公益法人というのは、教員の働き方改革にとって、癌であることが多いです。中体連や研究会もそうです。この勝手に作った独立組織は、教育委員会からの指揮命令下にないので、やりたい放題負担を課してきます。指導ができないのです。

なので、この手出しがでない闇組織に公教育が介入されて被害を被ります。PTAの問題が根深いのも同じです。校長が電話をしてコラコラと言えないわけです笑。

後援:内閣府・文部科学省

文部科学省後援名義等の使用許可申請について

後援の問題については、上記リンク先を見てください。別に、後援だからといって言うことをきく必要もないです。後援というのは、各種条件が整った上でGETできる文科省の看板なだけで、別に文科省がやれといってやっているわけではありません。この後援という看板制度が僕たちにまるで拒否権がないかのような誤解を生んでいます。

ちなみに、尾張旭市教育委員会でも後援制度はあります。

尾張旭市教育委員会の名義使用申請

 

協賛:サントリー

で、サントリーも協賛していると。ま、お金払ってるわけです。サントリーさんは。いくらくらい金払っているんでしょうかね。という、主催ー後援ー協賛が掲載されているのですが、私たちがこれに同意した覚えはありません。いうことをきかなければならない道義もありません。

今、全国各地で、この読書感想文コンクールをやめようという動きも出てきています。あさぴいもこの動きには賛同し、読書感想文たる無意味な活動はやめていただきたいと、市教委や校長会に働きかけたいと思います。

あとは、感想画のコンクールもここと全く母体が同じなので、一緒にボイコットすればいいです。感想画も教育課程に則った物ではないと思うので、わざわざ授業時間をつかって応募させるのもおかしな話です。

 

という感じですが、、、。他にはJAのポスターとか、習字とか、何で農協の活動の一端を担わないといかんのよっ!といった、教員を舐めた活動も根は同じです。

こういうのは全て拒否できます。それは、校長がやーめたといえば、それで活動は終わります。

なぜ、継続してしまうのかというと、校長がやーめたと言わないからです。それだけです。

 

 

 

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