ここが日本社会である以上、私たち日本人のDNAは先輩を立てなければならないという暗黙のルールに縛られています。先輩より先に帰るというのは、なぜか不道徳なこととして捉えられます。講師時代、定時に帰っていたら、教務主任に呼ばれて説教されたことがあります。「定時に帰るとは、協調性がない。空気を読んで、せめて18時までは残っていけ」と言われました。今そんなこと言われたら、「あぁ?」と不良漫画さながらに眉を顰め睨み返し、「あーったたたたたっ!」と、北斗百裂拳をお見舞いしたいところです。しかし、当時は講師という身分だったので、「わかりました。」と言って、17時半まで残っていました。18時まで残るのは腹が立つので、もう一人の自分の折衷して、17時半に落ち着いたのです。本当にこういうのが嫌いなのですが、まぁ30分付き合ったわけです。しかし、4月になり、無事違う学校に飛ばされることになります笑。17時半でも、当時帰る順番の早いベスト3に入っていたからでしょうか。なぜ一体、遅くまで残れというのか。ここでいう協調性とは何を指すのか。
よって、学年主任になったら、定時で一番に帰ってやろうと思っていました。もし、日本社会的に先輩よりも早く帰るのがタブーでなのであれば、自分が速攻で帰れば他の講師や教員にこういった問題は発生しないのです。定時で帰っていく流れを作らないといけません。笑
今までで一番やばかった(ブラックとして)学校について言及すると、そこでは学年の先生で集まってどうやって教科を教えるのかという会議が毎週行われていました。水曜日の18時に教室に集まり、21時過ぎまで、向こう一週間どうやって授業を教えるのかという話し合いが長々と続くのです。具体的には全教科で「めあてーまとめ」の統一や板書計画、授業展開について先輩からアドバイスを受けるという超絶無駄な会議でした。入りの授業とかもありますよね。その学校だと、教務主任が社会を担当していたので、教務主任がトントントンと夜19時を過ぎて会議部屋に入ってくるのです。そして、「室町時代の授業では、こういう展開でこういうまとめをして、、」っていう説明をします。全教科、こういった無駄話をきくことになりました。好き勝手やればいいのに、、、と思っていましたが、、私たち若手は先輩から学べというわけです。そのときも講師でしたが、途中こういう会議はおかしいと言いました。好きにやればいいのにということを言いました。その後、無事に会議にでなくてよくなり、立派に学年から干されるという勲章をいただいたわけです。そして、校長に呼ばれました。「教師としてやる気があるのか。」と。「ありますが、自由にやればいいと思います。何もかも統一しようというのはおかしいです。別に統一しなくてもできます。というか、全国的にみて、そこまで統一していない方が多いし。」と言いました。「やめる?」と訊かれたので、「契約は延長しません。」と言いました。今から思い返してもとんでもない学校でしたが、ほんの10数年前の話です。このように、私は2校で勤務時間で揉め、追い出されています(この校長は同じ時期に入った講師が深夜12時過ぎまで働く姿を称賛し続け、その方は無事にうつ病になり退職となりました。これなんて本来、校長の安全配慮義務が問われることですよ。こうして二人いた常勤講師はいなくなりました。さすがに今はこんな無駄会議やってないだろうけど、安倍元首相の働き方改革以前は狂ってました。民間会社も狂ってた時代です。学校には勤怠カードすらありませんでした。)こういった自分と同じような思いを若手にして欲しくありません。
よって私は、この2つの馬鹿げたトラウマによって、学年で一番早く帰りますし、他のクラスの授業には口も出しません。素晴らしい学年主任と思いませんか?笑( ◠‿◠ )みなさんもこんな学年主任だったらいいのにと思いませんか?給特法や労基法の概念から言っても、あくまで「自発的勤務」が教員の根幹的な概念(向こうの主張する)なわけなので、法規的にも私のような学年主任のあり方が正しいわけです。細かく他の教員に口出しを始めれば、それは業務命令かということにもなりませんし、教員から自発的動機を奪ってしまいます。勿論、他の学年主任は教員の法規について殆ど知りません。私がここまで意図し、考えて行動していることも知らないでしょう。超有能な学年主任ですよっ。( ^∀^)笑
しかしですね、ここで生じるはずのない問題が生じるわけです。「定時関係なく働いて(土日も来たり)ガンガン詰めて仕事したい!!」という人が同じ学年にいた場合、学年主任の私と対立するわけです。その人からしてみると、「学年主任は仕事をさぼっている。単なるズボラで何も考えていない。」と思われるのかもしれません。そこの齟齬に関し、こちらとしては、法規的な通知・法律・判例等、全て判断して行なっていること、また、詳細に統一していくことはロスであり、必要最低限のルールで十分に対応していくことが可能であるということを、丁寧に説明しないといけないのかもしれません。しかし、相手がこれまた何十年も教師をやっているようなそこそこの「ベテラン」だった場合、非常に難しい。この学年主任はダメだと、謀反を起こしてくるやもしれません笑。そうなってくると、今度は自由にさせていたことが仇となり、相手を尊重したが故にかえって舐められ、自分の首が締まってしまうのです。
かくして、「無駄なことをビルドし続ける昭和的価値観との折り合い」というテーマは私が永遠に取り組まなければならないものなのだろうか、と思うわけです。中堅以降世代を見限って、20代のZ世代の方に期待していった方が、感覚的にも楽だったりするのかもしれません。